『正義とは何か?』 マイケル・サンデル教授の動画の講義のノート

 

 

 

 

 

『正義とは何か?』 マイケル・サンデル教授

の動画の講義のノート

 

 

 

平成28126

 

TageSP

 


 ※このノートは、YouTubeの動画『マイケルサンデル ハーバード白熱教室 P1(日本語訳)

 https://www.youtube.com/watch?v=hyHsz5Z5ZCQ から始まる一連の講義の動画を、

 TageSPなりに、最低限にまとめてみたノートでございます。

 よって、勘違いや、無理解など至らぬ点が多々あることを、予めご了承ください。

 

 

 

 

 

目   次

 

0

導入

2

1

功利主義・帰結主義

2

2

リバタニアリズム(自由原理主義)

4

3

ジョン・ロックの思想

4

4

イマヌエル・カントの哲学

5

5

ジョン・ロールズの正義論

7

6

機会と名誉について

11

7

アリストテレスの正義

11

8

コミュニタリアリズム(共同体主義)

13

9

正義と善の結び付けについて

15

10

善についての論じ方について

18

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


0導入

トロッコ問題について

     暴走したトロッコ。このままだと、レールの先にいる5人をひき殺してしまう。

たまたま、レールの分機器のハンドルの隣にいた私は、ハンドルを操作することで、5人を救えるが、

分岐先のレールにいる別の1人を殺してしまうことになる。

 

→多くの人は、ハンドルを操作して、5人を救い1人を殺すことを選択する。

 

     同じく、暴走したトロッコ。同じく、このままだと、レールの先にいる5人をひき殺してしまう。

たまたま、私の隣に太った男がいて、その男をレールに突き倒すことで、5人を救えるが、

突き倒した男を1人殺してしまうことになる。

 

→多くの人は、突き倒さない事を選択する。

 

①と②のケースは、同じく、5人を救うか?1人を殺すか?の選択であるが、

①と②の間で、多くの人の選択に違いが生じるのはなぜだろうか?

①と②の間にある道徳的な違いは、何であるのだろうか?

 

1功利主義・帰結主義

 

=何が正しく道徳的なのかを、行動の帰結・結果のみを見て決める主義。

 結果が良ければすべて良い。結果がすべてで、結果への過程は重視しない主義。

 

 「“正しい行い”とは、効用を最大化する事。」「最大多数の最大幸福。」(ベンサム)

 ※効用とは、苦痛より快楽、受難より幸福の量が多い状態のこと。

 

費用便益分析 = 効用を金額のドルなどに数値化して比較する事

 

Ex1. 喫煙により、医療費が増加するが、

   たばこ税の税収・喫煙者の早期死亡による医療費の減少・年金の節約ができる。

   →以上のことを考えると、医療費の増加より社会の効用が上回るので、喫煙を推進すべきである。

 

Ex2. 運転中の携帯電話の使用は、使用中の事故による死傷者が増加するが、

   それ以上に、運転中の時間を有効活用できる。

   →よって、運転中の携帯電話を推進すべきである。

 


Ex3. ローマ時代における奴隷とライオンとの死闘は、奴隷の苦痛よりも、

   それ以上に、大衆の快楽のほうが大きい。

   →よって、奴隷とライオンの死闘は良い事である。

 

Ex4. 差し迫ったテロがある場合は、テロの容疑者の一人を拷問することよりも、

   それ以上に、大衆の安全を守る事のほうが大きい。

   →よって、テロの容疑者の一人を拷問する事は正しい。

 

 

功利主義への反論

 

⇔・個人や少数派の権利が尊重されていない。

 ・すべての価値や好みを、金額などに集計して比較するのは、不可能ではないのか?

  →ベンサムは、すべて同じドルという尺度で測ることができると考えていた。

例:ソーンダイクの研究

 

ジョン・スチュアート・ミル曰く

  └ベンサムの弟子の子供で、『功利主義論』を、著した人。

     「望ましいものとは、実際に人が望むものである。」

     「高級な喜びと、低級な喜びを区別する方法は、2つの喜びを経験した者が、

 道徳的な義務感と関係なく迷わず選ぶものがあれば、より好ましい喜びである。」

     「効用に根差した正義こそが、すべての道徳の主たる部分で、

 正義とは、道徳的要請の名称であり、集合的に見れば、社会的効用は、最優先されるべきである。」

 

 

 

功利主義のまとめ

 

       高級な喜びと、低級な喜びは区別できる。

       個人の権利と正義は、特に尊重されるべきだ。

なぜなら、他人を尊重しないで利用した場合と比べて、長い目で見るとその効用をしのぐからである。

  (反論)

個人は、より大きな社会の目的、もしくは、“効用”を最大化させるために使われる

単なる道具ではない。


2リバタニアリズム(自由原理主義)

 

=個人は自由の基本的権利を持っているから、

     干渉的な法律を否定 (例:バイクでのヘルメット着用の法定を禁止)

     道徳的な法律を否定 (例:同性愛行為の禁止の法定を禁止)

     富者から貧者への富の再分配を否定

→公正に稼いだお金を、政府が奪う課税は盗みである。

 再分配の課税は、所得である労働の果実の取り上げであり、強制労働に等しく

 自分で自分自身を所有していないこととなる。 By ロバート・ノージック

 

           ※ここでの“公正”とは、正当に所得を得たという取得の正義と、

自由に売買して分配できる移転の正義にかなう所得が、公正である。

 

★リバタニアリズムでは、自分の所有者は、自分自身であると主張。(自己所有の原則)

★リバタニアリズムでは、小さな政府を考えている。

つまり、社会保障がなく、フリーライダーを防ぐ警察と軍隊など、純粋公共財のみを必要とする政府。

 

 

リバタニアリズムへの反論

 

⇔①貧しい人がよりお金を必要としているのか?

  貧しい人は助けるに値しないのか?それとも、寄付をするから大丈夫なのか?

 ②民主主義の中での同意による課税は、強制ではないのではないか?

  ⇒議員の意見は、自分自身の意見ではない。

 ③成功した者は、社会に借りがあって、本当は、自分は自分自身を所有していないのではないか?

 

 

3ジョン・ロックの思想

 

Ø         民主主義にも覆せない基本的人権や、自然権がある。(→制限された政府)

=「制限された政府」において、

何をもって“自然権が守られている”かと考えるのは、その政府である。

また、「制限された政府」では、集合的な同意がなければ、合法的に課税できない。

Ø         自然権は、政府や法律が存在する前の自然状態からある。

Ø         生命、自由、財産権という自然権は、不可譲である。

→自分で使えるが、他人には譲ることはできない。

 

本質的な自分の権利である自然権が不可譲であるという事は、

 自分は、自分自身のものではない事を示している。
「同意」の問題 ・・・正当な政府は、同意に基づくため。

 自然状態では、誰もが自然法を執行出来て、行き過ぎた処罰が横行し、力と暴力の世界となってしまう。

そこで、自然状態を抜け出すには、同意による多数派が支配する共同体(政府)を作る。

但し、最高権力であっても、法律により、本人または、多数派の同意なしには、個人の財産を奪えない。

共同体に属する個人は、自然状態から離れ、政府のサービスを受けるために、暗黙の同意をしている。

但し、共同体に属する際でも、自然権は放棄できないので、政府は制限を受ける。

 

★同意が無効となる場合

① 強制や、圧力による同意。

② 情報の欠如による同意

 

 

徴兵と課税について ・・・生命や財産権を守る。という政府の同意に反していないのか?

 名指し、気まぐれなど、恣意的でなく、

多数派の同意による公正な手続きによるものであれば、矛盾しない。

 

Ex1. 軍の司令は、兵士に命を捨てるような命令が出来ても、

   恣意的で同意がない、1銭たりとも、金銭を取り上げる命令をすることはできない。

 

 

 

4イマヌエル・カントの哲学

 

Ø         すべての人間は尊厳を持っている。

=私たちは皆、理性的に行動できる存在である。(純粋理性批判)

            それは、自分自身を所有していたり、功利主義的な考えからではない。

            対象の人の人格など関係なく、愛でもなく、尊重することである。

 

Ø         カントの自由 = 自律的に行動する事。

=自分自身で与える法則にしたがって行動する事。

 

Ex1. 動物的に苦痛を避け、快楽を得るための行為は。自然の法則に縛られていて、

   他律であり、自由ではない。

 

Ex2. ┏自分で与えた目的の為に、目標を選ぶ。(自律的) ※人は目的そのものである。

    ┃

    ┗与えられた目的の為に、行動する。(他律的)


 

Ø         行動を道徳的に正しくするのは、帰結や結果ではなく、

正しい行いを正しい理由の為にする義務の動機で決まる。

道徳的かどうかは、意思の質・動機の性格で決まる。

 

           カント曰く、「善意は結果によらず、それ自体が()いものだ。」

                        「最善の努力をして、何も達成できなくても、善意自体が光り輝く価値を持つ。」

 

 

義務の動機 ・・・道徳的価値の為に行われるべきだという義務感

 

⇔傾向性の動機・・・欲望、外部事項による動機。

 ※道徳以外の別の感情は、行為を支えるだけで、それが動機そのものにはならない限り、道徳的に正しい。

 

 

純粋実践理性

カント曰く。私たちは、自律的に行動している時、自分が自分自身に与える法則と、他人が自分自身に与える法則は、経歴や環境に左右されずに、先天的に1つの理性として共有している。

 

理性は、2種類の命令を出す。

 仮言命法 = ○○したいなら、××しよう。(例:モテたいから、親切にしよう。)

    ┃

    ┗定言命法 = ○○であれ。(例:親切であれ。)

      

個人的な道徳的行為が、そのまま人類普遍に従うべき道徳法則に当てはまるべきものとして、

自己の内面から発する「~せよ。」という無条件の命令。

      ┃

      ┗自律的自由の根拠。

                      →自分の個人的な理由ではなく義務の為に行動している時こそ、自由である。

 

⇒する事と、すべき事の間には隔たりがある。

 

┌功利主義は、日常全てを道徳的に説明しようとする。

└カントは、生活を基本的に、道徳とは無関係の部分として扱う。

 


5ジョン・ロールズの正義論

 

Ø         人は、正義に根差す不可侵性を持ち、社会全体の福祉でさえ、これを侵せない。

 

「無知のベール」を考案 ・・・私たちが集団生活を始める前にあって、

お互いの社会での生活の開始状態を知らない状態。

私たちが産まれてくる前の状態で、平等な原初状態。

 

Ø         現実での法などの社会契約は、異なる利益や価値観、目的、善を持った人々の間で、

交渉能力や、知識、声の大きさに左右されて決まる。

 

⇒そこで、一旦、私たちが「無知のベール」の後ろにいると仮定して、

 その平等な人々の間で取り決められる仮説的契約だけが、正義について考える唯一の方法とする。

 

      仮説的契約 = 私たち全員が、

自分がどういう身体や身分で社会に誕生するのか分からない状態にいると仮定して、

                            もし、自分や誰かが社会的に不利な条件で誕生したとしても、救いがあって、

                            有利に誕生した人との間で、大きな不平等が生じないように取り決められた契約。

 

Ø         正義と権利は、理性の概念に基づく仮想上の社会(無知のベール)での社会契約に由来する。

 

 

契約とは?

     契約は、いかに拘束ないし、義務を負わせるのか?

     契約の内容は、それ自体が正義ではなく、公正であることも示さない。

→正義ではないので、常に公正か問い続ける必要がある。

 

 

契約による義務

 

同意による義務・・・同意に基づく契約は、義務を負わせる。

                                  →自律であり、私が私自身に課したルールだから。

 

利益による義務・・・便益に基づく契約にも、義務がある。

                                  相互性 = あなたが、私に対して何かをしてくれる義務を負っているのだから

                                                私も、あなたに対して、義務を負う。


 Ex1. 営利契約

        Aさん「100ドルあげるから、エビを100匹採って来て下さい。」

        Bさん「同意しました。」「エビ100匹採ってきたので、100ドル下さい。」

        →Aさんは、Bさんに、100ドルを支払う義務がある。

           ※もし、同意の際、片方に、例えばエビ100匹の適正な市場価格を知らなかったりして、100ドルが適正な価格でなかった場合など、情報の欠如があった場合は、この同意は公正とは言えない。

 

⇒同意の事実は、義務があることの十分条件ではないし、必要条件でもない。

 同意がなくても、義務は発生しうる。

 

 

Ex2. 相互性。利益による義務

        Aさん「パソコンが壊れた。」(発言だけで、なにも同意していない。)

        Bさん「では、ちょっと見てみるね。」「点検したら直ったので、10ドル下さい。」

 

⇒AさんとBさんは、契約を結んでいないが、BさんはAさんに便益を与えたのだから、

 AさんはBさんに、代金を支払う義務がある。

 

 

 

ロールズの分配の正義

 

Ø         人の人生に幸福をもたらす富、権利、機械の分配

Ø         人格を忘れる功利主義を拒否して、平等な基本的自由を選択する。

           →私たちは、1人1人、尊厳を持ち、尊重されたいと、無知のベールの後ろで考えている。

 

■分配の正義

┏①第一の原理・・・自らの基本的人権と自由を、いかなる経済的利益とも交換しない

┗②第二の原理・・・格差原理による社会的、経済的不平等の解消。

 

 

■格差原理

 =私たちは、貧しい家庭に産まれるのか、富んだ家庭に産まれるのか、原初状態では選択できない。

  因って、最も貧しい人にとって便益になる不平等・再分配だけは、許される。という考え。

  その分配は、恣意的な要素に基づくべきでない。

 

 =すべての富の不平等を認めない訳ではなく、ある職の人の意欲を引き出す刺激や、報奨である

  インセンティブなど、一部の不平等は認める。

 

 

⇔ 能力主義からの反論 ・・・能力に応じて報いられるべきだという考え。

 

*         全ての人があらゆる職に就くための努力をする自由があるべきだ。

*         産まれによらず、形式的に機会の平等が与えられるべきだ。

*         キャリアは、才能に対して、開かれたものであるべきだ。

 人によって、産まれてきてスタートラインが異なるのであれば、

 能力主義での競争には、恣意的な要素があり、公正ではなく、不十分である。

  ※恣意的な要素とは、よい教育を受けたのか?努力する自分を養い、機会を与えてくれる環境か?という要素

 そこで、能力主義では、競争のスタートラインを、皆同じにするシステムを考えるが、

 形式的な平等でしかなく、

 ロールズ曰く、「自然の巡り合わせという恣意性を修正するには、不十分である。」

 

Ex1. Q・皆で同じスタートラインから、徒競走をすると、誰が勝つのか?

   A・一番足の速いものが勝つ。

                    →たまたま速く走れる才能を持ったのは、その人自身の功績だけではない。

 

能力主義は、社会の偶然性を排除できるが、

 富や所得の分配が、自然が偶然分配した能力や才能によって決定されてしまうことを、許容している。

 そこで、皆の水準を一定にするのではなく、皆に才能を十分に発揮してもらい、

 才能を発揮して得られる便益を受ける条件を変え、恵まれた者は、恵まれない者の状況を改善するという条件においてのみ。その幸福から、便益を得ることができる。

 という格差原理を提唱した。

 

 運よく才能に恵まれた人が、その才能を発揮して、

 貧しい人を含めて、人々が救われるシステムであるべきだ。

 

 

■努力について

 ロールズ曰く。「ある人が強い労働意欲をもって、頑張り、根気強く努力したとしても、

                      その努力すら、幸運な家庭の状況により生じるものであるから、

                      私たちは自分の功績だと主張できない。私たちは、自己所有していない。

                      自己所有していなくても、個人を尊重して尊厳を守ることができる。」


■自然の分配について

 自然の分配は、正義でも、不正義でもない。人がある地位に産まれるというのも、不正義ではない。

 単なる自然の事実である。

           →正義や不正義は、制度がこういった事実を扱う方法にある。

 

 

⇒“努力を引き合いに出す人は、実は、道徳的対価は、努力に付随していないと信じている。”

 

Ex1. 2人の建設労働者がいたとして、

        1人は、屈強で汗もかかずに、楽に1時間で、壁を設置する。

        もう1人は貧弱で、3日かけなければ、同じ仕事ができない。

       

        →この場合、貧弱な労働者の方が、より努力しているので、もっと給料を支払えと言えるのだろうか?

 

 ∴分配の道徳的根拠は、努力ではなく、貢献にある。

 

 →そして、貢献は、努力だけでなく、産まれながらの能力や、才能も含まれ、

  能力や、才能は、自分の行いによるものではない。

  偶然、社会が重んじる資質や、社会の要求を提供できる資質を持っていたに過ぎない。

 

 

◎因って、「道徳的対価」⇔「分配の正義」とは、結び付けられない。

 代わりに、「分配の正義」⇔「正当な期待に対する資格」が、結びつく。

 

Ex1. 宝くじに当たった場合、賞金をもらう資格を有するが、

        自分が、その賞金に道徳的にふさわしいとは、限らない。

 

Ex2. 試合で優勝した者は、トロフィーをもらう資格を有するが

        しかし、その人が真に優勝に値する者かどうかは、分けて考える。

 

Ex3. 私たちは少ない報酬に対する資格しか持たなくなる。からと言って、

        私たちの人としての価値は下がらない。

           ←これが、道徳的対価と、正当な期待に対する資格との違い。

 

 

まとめ

 

 私達は、才能を行使することで得られる便益に対する資格を持っている。

 しかし、私達が偶然豊富に持っている資質を、偶然重んじる社会に、

 自分達がふさわしいと考えるのは、間違いであり、自惚れである。
6機会と名誉について

 

アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)

 └例えば、大学入試の際に、人種、出身地など、自分ではどうしようもないことを点数化して、

  テストの点に加点して、選定の対象とする事。

 

Ø         人種、出身地と同じように、自分の育った教育環境、自分の親も、自分では選べない。

Ø         学術的な優秀さが、入試唯一の基準ではない。出願者が偶然持っている資質を評価しているに過ぎない。

Ø         入試により大学に入学出来る資格を持つが、入学を許可されるに値する訳ではない。

           →入学に値する者は、誰一人もいない。

 

 故に、学校への合格は、偶然社会が求める資質を有しているからであって、

 宝くじの当選者が祝福されるのと同じように、祝福されるのであり、

 学校の申し出を受け入れ、利用されるのに付随する便益を得る資格が与えられます。

 

           →この主張は、分配の正義と、道徳的対価を切り離しているが、少々おかしく感じる。

           正義とは、美徳や道徳的対価に報いたり、称えられたりするものと理解されるべきではない。

           報いたり、称えたりする行為は、自由や、自由な個人の尊重から遠ざかる。

 

 

7アリストテレスの正義

 

 アリストテレスは、正義について考える唯一の方法は、社会的実践の目的目標。

 つまり、テロスから論じることであると主張した。

 

◎アリストテレスの正義━┳━人々に値する者を与える事

            ┗━その人に与えられるべきもの

 

Ex1. 最上のフルートを分配されるべき人は、最もフルートが上手い演奏者である。

 

→つまり、すべての正義は差別を内包する。と、主張。

 また、この、目的(テロス)から物事を逆算して考える考え方を、目的論的論法という。


 Ex2. それはミツバチである。ミツバチである理由は、蜂蜜を作る事だ。

   蜂蜜を作る理由は、私が食べるためである。といって、ハチの巣から蜂蜜を取り出して食べる。

 

この考え方は、アファーマティブ・アクションへの反論となる。

           └→大学にふさわしい目的目標とは何か?という問いとなる。

 

 

アリストテレスが考えた政治

 

     政治とは、良い人格を形成し、市民の美徳を高めて、()き生をもたらすものである。

           政治への参加が、善き生につながる。

           ⇔対して、カントやロールズは、政治とは、善や価値観、目的を選択する自由を尊重することとした。

 

     善を追及する集団に、最も貢献する者が、政治的統治における役割での名声を得るべきである。

 

 

 

 政治への参加が善き生へとつながる理由について

 

     ポリスで生活して、政治に参加すると、人間としての本質を十分に発揮できるから。

           (人は、ポリスで生きるものである。という前提がある。)

     幸福とは、美徳に基づいた魂の活動であるから。

           └美徳とは、実践し、自分で行動する事でのみ得られる。本だけではコツをつかめず学べない。

            その為に、政治に参加して、善の本質を市民同士で議論する必要がある。

 

→美徳を持つ者を選び、名誉を与える事も、政治の重要な点の一つである。

 

つまり、アリストテレス曰く「正義とは適合させる事である。」

 →美徳や卓越性を備えた者に、ふさわしい役割を与えなければならない。

 

Ex1. ゴルフなどのスポーツは、ただの見世物でなく、

    卓越性を見出し、評価をして、名誉を与えるものである。

          

           ⇔功利主義の考え方では、ゲームと生産的活動には違いがあり、

            ゲームの本質は、娯楽の他に目的がない。と、考える。

 


 アリストテレスの考えへの疑問と反論

 

Ø         目的論には、自由の余地はあるのか?

           →例えば、私にぴったりな仕事などの社会的役割があった場合、

            私には、自分自身の社会的役割や、人生の目的を選べる権利があるのだろうか?

 

Ex1. アリストテレスは、奴隷にふさわしい人間がいると主張して、奴隷制を擁護した。

 

           ⇔カントやロールズ曰く「目的論で論じ、正義が人と役割を適合させる事と考えれば、

                      基本的人権が脅かされ、自由の余地は残されない。」

 

Ø         目的論的論法においては、目的が異なる人々の間で、いくら議論しても、合意は得られない。

           (多元的な社会では、善き生の本質的について同意することはできない。)

           →○よって、現代の政治倫理学は、「善」について意見の不一致を出発点としている。

            

            ○正義や権利、憲法は、特定の善や、政治的生活の目的を前提にすべきではない。

          (カントやロールズ曰く「正義と特定の善を結び付け、特定の生き方を具現化して促進すべきものでない。」)

 

            ○権利が保障される枠組みを提供し、人々が自分の善や、人生の目的を自由に選ばせよう。

             という発想をとっている。

 

 

8コミュニタリアリズム(共同体主義)

 

 カントやロールズの考えでは、自由であるためには、特定の役割や伝統、慣習にとらわれず、

 自由で独立した自己で、自分の目標を自分で選べる。とある。

 └→この考えでは、個人としてではなく、共同体としての道徳的な義務を説明できない。

 

           ⇒そこで、コミュニタリアリズムの考え方が生まれる。

 

自己の物語的観念

 = 自己というものは、ある程度、その人が属する共同体の伝統や歴史によって規定され、

   負荷をかけられるものである。(by マッキンタイア)

 

²        私は私の属する共同体から、様々な負債、遺産、期待、義務を受け継いでいて、

  私の人生に、元々与えられていて、それらが私の人生に、道徳的特性を与えるのである。

²        私の人生の物語は、共同体の物語に深く根付いていて、

  私のアイデンティティーは、そこから生まれる。


負荷ありき自己

 = 自分が誰であり、自分の義務が何であるかを明らかにするには、

   自分を定義する人生の歴史と、切り離して考えるべきでない。

   よって、私は、集団的責任・過去の歴史からくる責任を負う。

 

Ex1. 自分は奴隷を保有した事がないので、奴隷制が黒人に与えた影響とは無関係だと主張するアメリカ人。

Ex2. 戦後生まれなので、過去のナチスの行為とは無関係であると主張するドイツ人

 

→自己は集団の構成員であり、歴史物語との特定のつながりと切り離せず、切り離すべきでもない。

 

 

 

 コミュニタリアンの道徳的・政治的義務

 

     人として、人を尊重する義務。      ─┬→リベラルの観念と同じ。

     自発的な義務。自分が同意した事で、特定の誰かに対して生じる義務。(by ロールズ)

     連帯、忠誠心、集団の構成員としての義務

           ┗①と②の義務だけでは、集団としての義務を見失う。

 

Ex1. 自分の親と、見知らぬ人の親のそれぞれの面倒を見る必要が生じた場合、

   コイントスでどちらが先か決めるよりも、自分の親を優先する方が、より道徳的と思える。

 

           →決して、同意からの義務ではない。私たちは、自分の親を選んでいないし、

            親を持つことも、選んでいない。

 

Ø         自分が、家族や祖国に特定の義務を負うと考える事に、問題はない。

  但し、人が人として尊重する義務を認め、その枠組みの中で不正を行わない限り。という条件が付く。

 

Ø         共同的な責任を負う事に対して、私たちが市民の責任についての判断を放棄して、

  考えなしに議論から降り、コミュニティに対してその考えを強制するのが、原理主義者である。

 

Ø         Q、自分が属する複数のコミュニティ同士の間で、主張がぶつかり合った場合は、どうするのか?

(例:ルームメイトのカンニングは、通報するべきか?)

           ┏1 自分にとって、より身近なコミュニティを優先すべきか?

           ┗2 コミュニティの大きさや、身近さは、その判断要素になるのか?

          

           特定のコミュニティでの善き生という観念から離れては、正義の原理を見つけることは出来ない。


 コミュニタリアンの主張

 

u       権利より善の方が優先される考え方は出来ない。

u       正義と権利が、善と密接に関係している。

 

⇒単にその時代、そのコミュニティにより、たまたま是とされる価値観や習慣から

 正義が決められている。と、いうことになる。

 

 

9正義と善の結び付けについて

 

 物語的アイデンティティーとは、ある時代、あるコミュニティで是とされる善の共通認識である。

 カントやロールズの主意主義という立場では、物語的アイデンティティーと正義は結び付けてはならず、

 理性や感情よりも意思を根本に置く立場であり、偏見や差別なしに、個人を個人として扱う立場である。

 

主意主義では、友達への配慮は、偏見となる。最も遠い他人を助ける為にも、

 友人に対するのと同様に、駆け付けなければならない。

 このような社会は、人類の社会として認識しがたい。

 

∴故に、道徳哲学には、決定的な議論というものがなく、

 私たちがずっと話し合ってきたという、考慮事項しかない。

 

 

 正義と善を結び付ける方法

 

     相対主義的な方法

           =正義を考える時、ある時代、あるコミュニティでの価値観に頼る方法。

            但し、ここでの価値観は、その時代、そのコミュニティ以外の外部の基準で判断してはならない。

          

           →この方法では、正義を、ただの慣習的な環境の産物としてしまう。

            そして、そもそもの正義が持つ意味を骨抜きにしてしまう。


 

     非相対主義的な方法

           =正義を時代やコミュニティに頼らずに、

            権利がもたらす道徳的価値や、目的に内在する善に頼る方法。

            権利を承認するかは、その権利が何か重要な人類の善を促進するか?で決める。

          

           →人々の間には、善についての合意は存在しないので、

            特定の善に依存しない正義の原理を見つける必要がある。

 

           ※但し、正義を議論する上で、善や目的についての議論は避けられず、また、必要なことである。

 

 

 同性婚問題についての議論の例

 

Ø         この道徳的かつ宗教的な問題は、社会的判断がなくても、正義や権利の概念を構築することが望まれる。

Ø         “同性愛に対しての個人レベルの見解“と、”国家が同性婚を認めるべきか否か?“という問題は、

  切り離すことは可能であるのか?

Ø         目的論的論法からすると、結婚という制度は、政府が生殖というテロスに、名誉を与え促す制度なのか?

                                   ↓

           もし結婚のテロスが生殖ならば ━┳━ 不妊のカップルだと、どうなるのか?

                           ┗━ 逆に、複数婚は、どうなるのか?

           ⇒よって、結婚の目的(テロス)は、生殖ではない。

 

Ø         例えば、自分が好きだからと言って、自分と結婚することは出来ない。

          

           2つの問題が内在 ━┳━ 1 様々な行為を道徳的に許すのか?という問題。

                      ┗━ 2 ある行為に、国が名誉を与えるのに対し、適合性があるのか?

                                                 ふさわしいのか?という問題。

 

→ 我々個々人の価値観が異なるからこそ、結婚という制度の枠組みを示す法律が必要となる。

  アリストテレスの考えからすると、政府の役割は、人々に何が良いか。悪いか。を

  集合的に理解する事を助けることにある。

 

 


■マサチューセッツ州最高裁判所の見解

 多くの人は、同性愛行為は、道徳に反する。という強い信念を持っている。

 同時に多くの人は、同性愛者には、結婚する資格があり、異性愛者と等しく扱われるべきだ。

という強い信念を持っている。

 

 どちらの問題も、同性婚の問題には、答えていない。

 重要な事は、個人の自律性と、法の下の平等の尊重である。

 個人が2人だけの約束を交わす相手を自由に選ぶことである。

           └─選択の道徳的価値でなく、個人が選択する権利を問題としている。主意主義的な立場をとった。

           しかし、この主意的な、リベラル・中立的立場では、うまく結審できないと、裁判所が気付く。

           (本当に中立の政府なら、国の機関として、結婚制度を廃止している。)

 

⇒ 結局、裁判所は、結婚制度については、逆に大切な制度だと主張した。

  そして、結婚の範囲を、同性婚を含む所まで拡大する判決をした。

 

 

■マサチューセッツ州最高裁判所曰く。

 結婚は、個人の選択をどこまで許容するか?という問題以上のものであり、

 社会の承認と、名誉の問題である。

           └─結婚のテロスに関して議論することは避けられない。と、裁判所は気が付いた。

 

⇒ 結婚のテロスは、生殖ではなく、パートナーのお互いに対する恒久的な約束である。

 

     結局、同性婚に対して、反対でも、賛成でもない中立の立場を個人的に取りながら、

  同性婚制度を支持。あるいは、拒否できるという立場はとれない。

 

 

 まとめ

 

Ø         道徳的な問題が起こったとして、ただの同意、選択、自律の問題であるとみなして、

  「私は中立だから。」と、どの立場にも立たないようにしても、問題の解決は、上手くいかない。

              (両方の立場に立って考えてみることは可能である。)

 

Ø         正義と、権利の議論について、善を論じることは避けられない。

           →善についての論じ方はあるのだろうか?

 

 

 

10善についての論じ方について

 

*         意見に相違がある度に、照らし合わせて

  善き生についての唯一の原理、規則を見つけるという方法ではない。

 

*         唯一の原理、規則を持つ事は、善き生や規則を論じる、唯一の方法でも、最善の方法でもない。

 

*         議論では、個々の問題について、私たちの判断は常に、行ったり来たりしていた。

  なぜその立場をとったのか?どうしてそうなのか?

  より一般的な原理との間で行き来する弁証法的なやり方で、進んできた。

 

           →ロールズ曰く。無知のベールの背後での原理だけでなく、こういった下した判断と、

            一般原理との間で行き来する。反証的均衡を行い、私たちの直感的判断を、見直したり、

            あるいは原理の方を見直すこともある。

           但し、反証的均衡では、正義と権利については、共有できる判断を生み出せるが、

           善や包括的道徳問題については、多元的な考えがあり、意見の一致が得られないので、

           共有できる判断は生み出せない。

 

*         正義について、意見の相違には、どう対応するのか?

  どうしたら、違う正義の同朋社会にたどり着けるのか?

 

           → 意見の相違を無視して、自分達の政治的理論を進めることは、妥当なやり方ではない。

 

           → 意見の相違を無視せず、関わり、競い、学ぶことで、合意につながる保障はない。

             深く理解する事につながる保障もない。その他者が、ますます嫌いになることもある。

             しかし、他者と関与していく事は、多元的な社会には、より適切な方法であると思える。

 

 まとめ

 

*        道徳的・宗教的な意見の相違が存在し、善について多元性が存在する限り、

  道徳的に他者と関与することでこそ、社会の様々な善を理解できるようになる。

 

*        永遠に解決できない正義の問題について、なぜ議論を続けるのかと言うと、

  我々は、常にこの答えの中で生きているからである。

  懐疑主義や、自己満足では、理性の不安はぬぐえない。

 

以上

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